岩だらけのこの島に灯台ができたのは、明治37年。山口県徳山市(現 周南市)から運んだ花崗岩を積み上げ、着工から4年をかけて完成しました。花崗岩は塩害を防ぐために使われましたが、どのようにして積み上げられたのか、記録が残っていないためわかりません。
速吸の瀬戸と呼ばれるほどこのあたりは潮流が速く、波も高くなりがちです。きっとたいへんな苦労をして建てられたのでしょう。高さは日本で3番目の大きさです。
孤島の灯台は、大分県と愛媛県のちょうど真ん中あたりに位置し、近くの港から船で40分ほどかかります。
海上保安庁の方に、特別に灯台の中を見学させてもらいました。
水ノ子島灯台は9階建て。昭和61年までは人が常駐しており、寝床や詰所が階層ごとに作られています。8階には、レンズを支える部分があります。大きな洗面器のような容器には水銀が入っており、鉄などを浮かせる特性を利用して、3.2トンもあるレンズを浮かせてています。浮いていることで、回転もスムーズに行えます。これはイギリスの技術だそうです。
最上階の9階には、フレネルレンズという何層にも重なった美しいレンズが設置されています。太平洋戦争中、米軍の機銃掃射で撃ち砕かれましたが、昭和25年に新しく取り付けられました。70年以上も昔のレンズとは思えないほど美しく力強く、その存在感に圧倒されます。
暗さを感知して、10秒に1回光り、20秒で1回転します。電力は、波力発電と、太陽光発電でまかなわれていて、レンズの中心にある電灯は4400時間使用でき、1年ほどで交換するそうです。全国的にLEDに変わってきているので、いずれここも変わるかもしれませんが、貴重な姿をできるだけ長く留めておきたいと願う人は少なくありません。
その一人、肥後四々郎(ひごよしろう)さんは、佐伯市鶴見にある水ノ子島海事資料館で、ボランティアガイドをしています。
肥後さんが水ノ子島灯台に興味を持ったのは、船乗りたちから、水ノ子の灯りを見るとほっとする、と聞いたことや、灯台は岬にあるものだと思っていたが、海の真ん中にある珍しさ、かつての管轄が逓信省であったことなど、地理や歴史に面白さを感じたからだそうです。
「水ノ子島灯台は観光資源。心の灯り。悠々とした姿が好きです」と、にっこり。
資料館は以前、灯台守たちの宿舎でした。5世帯が暮らし、交代で灯台に詰めていたそうで、ここから、遠くに灯台の姿が見えます。
歴史ある灯台が身近にあることを誇りに感じた時間でした。
イベント名 | 海と灯台ウイーク(11月1日~8日)水ノ子島灯台 |